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魚心あれば猫心 ~uo gokoro areba neko gokoro~

 日本の猫はお魚大好き。
 Japanese Cat loves fresh fish.
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エド・ハリス、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ジェニファー・コネリー
2000年製作 伝記・ラブストーリー? アメリカ

お気に入り度 :6/6
お勧め出来る度:6/6

オフィシャルHP
Yahoo!映画


ブラボーエドハリス。
これはよい。
実在のアメリカの画家ジャクソンポロックを描いた映画。
ジャクソンポロックは知らなかったが、出てくる絵にはとても惹かれた。
映画を見た人とどの絵が好きかを語りたくなる。
そして、絵を描きたくなった。当然、あれほどの情熱も才能も持ち合わせていないが・・・
兄と住んでいる最初の頃の、岡本太郎のようなピカソのような絵はそれほど惹かれなかったが、ペギーの壁画と、アクションペインティングの何点かは描いてる途中の段階からゾクゾク感じて、ぁぁ~その色いい!と、思わずうなってしまった。

映画としても雰囲気、音楽共にすごく良く、世界に直ぐに引き込まれた。
そして、深みのある台詞や素敵な映像に惹きつけられっぱなしだった。
最初、精神不安定の表現があるので【シャイン】のような、紙一重の人かと思ったが、そうではない芸術家の繊細で孤独な感情表現が全般にわたってしみじみと感じられた。
画家がどのように世に認められていくのか、そこに関わる人物像も垣間見れて面白い。

リー(マーシャゲイハーデン)はポロック(エドハリス)とその才能を愛し、どちらかが欠けることは受け入れられなかった。
そして、ポロックはただ描いている。ただ感じたままを描いている。
「I'm just painting. Lee」
ファンが少ないうちはいい。認める人が増えていくから、可能性を感じるから。
「辛いと先が楽に思える。」「本当は違うけど。」
そして、作品が新たな世界に入っていく、それは偶然生まれたものだが確かに彼が生み出した物だ、新たなものが出来れば新たな価値観も生まれより認められていく、しかし、うまく行けばいくほどそこに長居をしてしまう。
周りの目は変わったが芸術家は変わらない。完成した自分の作品は壊せない。
そして、画商や評論家たちは目新しいものに移っていってしまう。
繊細で孤独である。

これは持論だが、芸術(アート)とはそれを感じる心そのものだと思う。
そして、芸術家(アーティスト)とは自分で感じた「それ」をなにか(絵、彫刻、音楽etc)五感で感じれるものに変換し伝えるただの伝道者に過ぎないと思っている。
どんな技法か、作者が何を表現したかったか、何を表してるか、そんなものはどうでもいい。
ただ、それを見て触って聞いて、何かを感じたか?感じなかったか。である。
感じなければ、それがその人(受け手)のアートであり。感じればなおさらである。
なんだか解らない(何が表現されているか、どんな技法を用いられて出来ているのかわからない)けど、見た瞬間、触れた瞬間、聴いた瞬間、何かを感じる。素敵じゃないか。

「リーがいなければ死んでいた。」
恐らく、制作サイド(というより配給元)が描きたかったのはそこだろうが、自分は芸術家の繊細さと孤独を一番感じた。
ポロックの絵に惹かれない人にとっては、いまいちの映画なのだろうか?

エドハリスの成り切りっぷりは半端でない。
晩年のひげを生やした顔が、デビッドモースのように見えた。
リーの手紙を読み立ち尽くす、画角と焦点距離を利用したズーミングしながらカメラごと遠ざかる手法(ドリーズーム)による映像も印象的。
ジェニファーコネリーは好きだが、役柄的にもそれほど印象には残らなかった。

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